介護

大阪崩壊ブリーダーレスキュー:続報53

先週、生きていれば77回目の父の誕生日だった。

10年の被介護期間を経て亡くなった父は、晩年よく「早く死にたい…」とつぶやいた。

「つぶやき」は不平、不満…若い頃の私はそう思っていた。

けれど父の「つぶやき」は不満ではあるが「自分の動かない身体への自分の不甲斐なさへの不満」だと気がついた。

「早く死にたい…」のコトバには「家族に苦労をさせたくない」という気持ちがあった。

そしてそれは「皆と楽しく暮らしたい」という想いだった。

けれどその願いは叶わないと、叶えようとすれば家族が苦労をするのだと、最期のときまで「家族を守ろう」とする父の気持ちが「早く…」のコトバだった。

亡くなる数日前、入院中の父と「今度のたま(仮名・当時2歳)のお誕生日までに一時退院でもいいから、うちに帰ろう!」と話した時、いつもなら「気を使わんでいい…」という父が「そうやなぁ…帰りたいなぁ…」と小さい声で言った。

そして…その誕生日の10日前、父は亡くなりました。

   

    

先代犬柴・次郎を医師の再三の勧めを断り、安楽死させなかったことを、20年間ずっと考えていた。辛かっただろうか…ワタシの選択は間違っていたろうか…

「死を選ぶ自由」は自由でいいのだろうか…  

けれど最期の数日の次郎とワタシの時間は、辛い記憶だけれどワタシの宝物でもある。

  

だれしもが「心身ともに健康で快適な生活」をしたい、しかしそれが叶わない、まして愛するものに苦痛を強いるのなら…と「死を選ぶ自由を求める」のではないだろうか…

介護のありようは人それぞれ、だから必ず皆がそう感じるとは思わない。

もっと厳しい家族の関係も見てきた。現実は甘くはないとも思った。

けれどワタシには「一緒いることの大変さよりも、共にいられなくなる苦痛の方が耐えがたい」と思った。

一緒にいられるのはホンの数年十数年。

一緒にいられなくなるのは長く永い時間なのだから…

  

「死」は必ず来ます。誰にも等しくです。急がなくても必ず。命生きられる間に死を選ばずとも…

 

和泉の山の中で、羽曳野のテントの中で、助けの手を待つあのイヌ達に「家族と生きる」時間をホンの数年の時間を与えることはできないでしょうか。

まだ、彼らに与えられた命の返却期限はきていないと思います。

もうすぐ審尋が始まります…

大阪ブルセラ病感染犬等救援本部HP http://www.pref.osaka.jp/doubutu/02doubutuaigo/08brucella/topfirst.html

大阪府動物愛護畜産課HP http://www.pref.osaka.jp/doubutu/index.html 

大阪府HP http://www.pref.osaka.jp/index.html 

このブログは、ブルセラ犬救命チームのいずれの団体とも支援者の方とも一切関係がありません。このブログに関するコメントはこのブログにお願い致します。

  

生体の展示販売購入はやめてください。安易な購入が乱繁殖を増長します。

こんなカナシイ想いはもうたくさんです。

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ぽちの日常:ハンディキャップ体験

要介護の父と暮らしていた。歩けなくなって3年間は車椅子を使ってた。

腰の骨を折ってからは、ほとんど寝ていた。

自宅にいられる時はできるだけ車椅子を使っていたのに、嚥下障害を持つ父は、誤飲性肺炎を起こし出しては高熱を出し、入退院を繰り返していた。

入院中はほとんど寝たきり扱いだった。最期の一年間、車椅子は片付けられてしまった。

父が亡くなったとき、始めての入院から10年が経っていた。

介護中のワタシのラッキー

ワタシの職種が研究員で、フレックスタイム対象者だったこと…会社員のわりに時間にじ自由度がある。

ぽち(仮名・長男)が保育園に入っていたこと…病院役所等の相談打ち合わせにコドモを同道しなくてすむ。

ワタシの直属の上司のお母さんも要介護者だったこと…状況をよく理解し、配慮もして頂けた。。

何箇所か転院させた病院が、いずれも自宅から公共バスで通院(母が単独で介護にいける)可能だったこと。

義父が同時期に癌だとわかったこと…………

父が最期まで認知症にならなかったこと……………

もし父が認知症になってたら、ワタシ達にあんなに詫びなくてもすんだかも知れない。

「ヒトに嘲笑われるようなことだけはするな」 「ヒトに同情されるようになるな」と、ワタシ達姉妹に教え続けた父だから、多分身体が動かなくても、意識がはっきりとしていたほうが幸せだったのかもしれない。

義父が要介護になったことで、ダンナとの連携プレーは迅速になったと思う。お葬式まで半年差だったし… ワタシ達が家族仲良く暮らすこと、それが義父のワタシ達への一番の願いだった。お義父さん大丈夫だよ。

当時の勤務先では、いろんなことを言うヒト達もいて、「(ワタシの)親と同居する」というと「ラッキーですね~お母さんにみんなやってもらえますやん。狙って次男と結婚したんですか?^^」

ホンキでうらやましがるコもいた。冗談じゃない…

でも、多分確かにラッキー、何にもしてやれないより、一緒にいてやれるだけでも…

ワタシ達だけでなく孫(ぽち。当時たまはまだイマセン)が一緒に暮らすことは、彼らのちょっとは楽しみになったみたいだし…。

何がしてやれたか、今もわからない。何をしたりなかったか、それもわからない。

いつも常に「右か左か」「止まるか進むか」二者択一の問題を繰り返し解いてるようなものだった。

ぽちは物心ついたときから、車椅子の父や入院仲間のじぃじばぁばに囲まれて育った。カワイソウだと言うヒトもいた。けれど、これが我が家の実情なのだから、家族の一員であるカレはこの場にいる権利がある。そう思っていた。

昨秋、今春と父達の三回忌が終わった…

先日、ぽちの小学校でハンディキャップ体験があったそうだ。

「で、感想は?」

「●●先生が”こんなんなったらコワイな~”ってワラッテたわ…(苦笑)」

「ふーん」 

「ま、しゃーナイケドな…」

諸先生方 コドモ達はよく見てるよ、ご注意下さいね。

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ぽちとみっかの2ショット

めずらしやん。  

あーこれね、ぽちの誕生日やったからボクからプレゼントやん。

あーなるほど(^^;)!

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Michaelの日常(06)みっかの来た日

「父の誕生日まであと一ヶ月」というメールが○天市場から届きました。
去年は、抹消する気になれなくてそのままにしておいたんだったな。
今年の春、三回忌法要を行います。
10年介護してきたノデ、「もー充分」ってなってるかというと、もう少し居てほしかったなぁと素直に思うのです。

ちょうどダンナと婚約するなり、脳溢血で倒れた父。

長男ぽちがおなかにいるのがわかると同時期に入退院を繰り返すようになり、車椅子を使うようになった。

第二子たま妊娠期に自室で腰の骨を折って入院。

仕事を辞めて介護と育児にと決心したワタシ

「いつもぐつわるいな~かんにんやで。(タイミングが悪いな、ごめんね)」と病室で涙ぐんだ父。

去年、ちょうどこのメールを受け取った後で、知人から「成犬の保護をしてくれる家庭を探している」と聞いた。「お願いできませんか?」
その時のワタシの心情は「ムリ!」でも「家族と相談してみます」と答えた。ワンクッションおいて断るつもりだった。そうするのが普通だと思ったから。
でも、ダンナの返事は

「いいよ。但し条件があります。

1.ニンゲンに敵意を持ってないこと。

2.出自のはっきりしている犬であること。

3.シニア犬でないこと。

それさえクリアーできればOKです」

「そんだけ?」 「そんだけ^-^」  

甘いよなーそんな簡単なモンじゃないぞと思った。

で、イロイロ事情が曲折して、やってきたのがMichaelみっかでした。

我が家に来た段階では、「保護された捨て犬」

ダンナが出した甘い条件のうちクリヤーしてたのは、”シニア犬じゃない”というトコロダケ。

敵意はムキだしになってないものの人間不信はアリアリだし、持ち主不明だし…。(後日、持ち主は判ったワケですが。)

帰宅したダンナがごねるかと思いきや、Michaelみっかを見るなり

「で、俺はナニ手伝えばいいワケ?」 

 「え?」

「朝の散歩くらいしかできへんと思うケドね^_-」

 「へー行ってくれるんや~」

「まー運動不足解消にはヨイでしょぉ!」 

 「では、よろしく<(__)>」

更に一年前、自分の父親を亡くしているダンナは、ダンナなりに想うトコロがあったんだろうな。

あっさりとMichaelお世話隊の役割分担がきまりました。

Nadete一年が過ぎて現在…

朝はダンナが30分、昼はぽちが10分、夜はワタシが30分というゴージャス散歩生活が続いてます。
結構恵まれてると思うんやけどねぇ…どーよ?みっか

★★★★★

「なーなーみっか、うちの子になって少しはよかったと思う?」
「まーすこしはおもうかな~(⌒ー⌒) ニヤリ これからもガンバってね。」
「…はいはい(-_-;)」

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